『日本書紀』の崇神天皇6年の条に登場する神で、宮中に天照大神と倭大国魂の二神を祭っていたが、天皇は二神の神威の強さを畏れ、宮の外で祀ることにしました。
天照大神は豊鍬入姫命に託して大和の笠縫邑に、倭大国魂は渟名城入姫命に預けて祭らせたが、髪が落ち、体が痩せて祀ることができなかったといいます。
その後、大物主神を祭ることになる件が書かれています。
倭大国魂神は大国主神と同神とする説、神名から大和国の地主神とする説があります。
倭大国魂神の別名
倭大国魂神・日本大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)
や
倭大国魂神を祭神とする神社